第十三話



「熊だって?」

「そーだよ! で、捕まえたら謝礼金ありって書いてあるから、こっそり抜け出して熊退治にきたんだ」

「さぁ……。知らないなぁ。プルミタス、知ってるか?」

 
ロックウェルの傷の手当てをしていた長髪の男は知らない、と短く返事をした。男はプルミタス・ガルラードといった。その兄らしき男はファン・ガルラードといった。
彼らが住む家はこんな森の奥深くにある割には洒落たものだった。暖かみのあるログハウスのような作りで、ペンションとして経営したらそこそこ稼げそうだ。
ロベルトはテーブルに向かって座り、正面に座るファンと話をしていた。

ふと思い付いたようにプルミタスが顔をあげた。
 

「……あぁ、でもたぶん、あいつだ。チリーパ」

「チリーパ?」

 
ロベルトが眉根を寄せる。
 

「お前らどうせ梺の工房に行く予定だったんだろ?」

「うん」

「あそこを経営しているのがチリーパ。俺達の幼馴染みだ。たぶん、お前らをさっき襲ったマチルダを誰かに退治してほしかったんじゃないか。それで謝礼金なんて看板を立てた」

「え? つまり?」

「マチルダはな、たまに麓に下りていって、何匹か……ほら、食っちまうんだ(汗)チリーパは恐らく熊の仕業だと思ってるんだろう。まぁ兄さんが飼ってるからどうにもできないんだけど(ボソ)……ほら、終わり」
 

プルミタスは包帯を巻き終えたロックウェルの足首を叩いて言った。
 
痛かった……。
 







 「足、平気?」


テーブルに向かっていたフレデリックが振り返って言った。


「うん、別に歩けないほどじゃないし」

「…………」


軽く足を動かして見せたロックウェルをフレデリックは肩越しに睨むように見つめていた。


「なんだよ?」

「……ほんとさぁ、無事でよかった。かっこつけて、先行けとか言ってさ。ほんと死ぬんじゃないかって思ったもん。思い出すと震えるわ」


フレデリックは両手を抱えて震える仕草をとった。ロックウェルはフレデリックがあの猛牛の注意をひきつけてくれたことを思い出した。


「俺よりお前のが危なかったじゃん。いや、でもマジ助かったけど」

「ははっ惚れた?」

「惚れてる」

にやりと意味深に笑ってロックウェルが言えば、フレデリックは笑い声を上げた。





窓の外はいつのまにか闇が降りていて、部屋は旧式のランプのオレンジの光で満たされていた。
居心地の良い家だった。
この時間では今から森を抜けて帰る訳には行かない。三人は結局泊まらせてもらうこととなった。
改めて礼を言えばプルミタスは相変わらず表情はあまり変えず「かまわない」と言った。一見怖そうな割に、プルミタスは非常に寛容だった。ファンはといえば家がにぎやかになったことで喜んでいるのか、やたらとテンションが高く、棚に閉まってあった過去のマタドールの大会で勝ち取ったトロフィーなどを見せたり、プルミタスの昔の写真なんかを引っ張り出してきて「かわいいだろ〜」などと紹介したりして、照れたプルミタスに殴られていた。

その時、誰かがドアをノックする音が聞こえた。こんな時間に、と訝る間もなくファンが顔を輝かせて立ち上がった。
 

「ドンニャだ! 僕の彼女だ。折角だから紹介しようと思って、呼んだんだ。ドンニャ、今開けるよ!」
 

顔をでろんでろんに甘えさせてファンはふにゃふにゃとドアに向かった。
そんな兄の姿を見て、プルミタスは大きく舌打ちをした。
 

夜の暗闇から現れたのは目も褪めるような美女だった。ブロンドをきっちり結わえていて、細身のスタイルを強調するシックなグリーンのドレスに身を包んでいる。薔薇の花びらのように赤く瑞々しい唇はロックウェルたちの姿を認めると美しく弧を描いた。
 

「ドンニャ〜僕の愛するドンニャッ」

「ごきげんよう、プルミタス」

 
彼女の胸に飛び込もうとしたファンをするっとかわし、ドンニャは部屋に足を踏み入れた。プルミタスは機嫌悪そうに片手をあげて挨拶のかわりとした。
 

「それから……」

 
ドンニャはゆったりと振り向いてロックウェルたちを見渡した。
三人はそれぞれ適当に自己紹介をし、彼女も改めて自己紹介をした。フルネームをドンニャ・ソルといい、ガルラード兄弟とは旧知の仲らしい。ちなみに本人曰くファンの恋人ではないようだ。
 

「でもドンニャ、こんなに遅くにどうやってきたんだ? 昼間でもこの辺りは結構物騒だったぜ」

 
ロベルトは早速この麗しき貴婦人を呼び捨てにした。彼の辞書に礼儀など存在しない。
だがドンニャは気を悪くした様子はなかった。

 
「馬で来たのよ。お土産に猪をとってきたわ」

「は?」

 
窓辺に寄りかかっていたロックウェルが何気なく窓の下に目をやると、細長い剣がぐっさり刺さった猪が転がっていた……。
 

「うわっっ!!!(汗)」

「ほら、ファン。さばいてちょうだい」

「わかったよぉ、ドンニャ♪」

 
ファンはいそいそと外にかけていった。バタンとドアが閉められたのを確認すると、彼の弟は苛立たしげに指先で机を叩いた。
 

「あんた……いい加減兄さんをたぶらかすのはやめてくれないか」

 
ドンニャを睨み付けてプルミタスが凄みのある声で言った。ドンニャは挑戦的に口角をあげた。
 

「あら、お言葉だけれど、彼の方が勝手に私に付きまとっているのだわ。それに……私は貴方に会いに来てるのよ」

「兄さんは渡さない!」

「貴方こそいい加減私のものになりなさい」

 
「…………(汗)」
 

この人たちの関係全然わかんねぇ……とロックウェルは冷や汗たらした。




「さぁ、皆、見てくれドンニャの獲物! ……あれ? どうしたんだい?」


プルミタスとドンニャが険悪な様子で向かい合っている中に入ってきたファンは血まみれの猪を抱えてキョトンとした。
ロックウェル、フレデリック、ロベルトの三人は関わり合いにならないほうがいいと本能的に察知しているのか、好き勝手に本を読んだり、電波の届かない携帯を眺めたりしていた。


「え? ねぇねぇどうしたの?(汗) 二人はどうしちゃったの?」

「さぁ……」


挙動不審なファンにつかまったフレデリックは肩を揺さぶられながら曖昧に返事をした。その時、突然プルミタスが立ち上がった。


「貴様とはいい加減決着をつけなければならないと思っていた」

「あら、奇遇ね。私もよ」


そう言ってドンニャも羽織っていたストールを落とし、どこからか銀色に光るレイピアを取り出した。


「ちょ、ちょ、待ってよ! プルミタスもドンニャも一体何言ってるんだ! 危険なことはやめろ!」


猪をポイッと放り出し、ファンは二人の間に果敢にも割って入った。グロテスクな猪&思わぬ事態に青ざめるロックウェルとフレデリックとは対照的にロベルトは好戦的な顔をきらきらと輝かせていた。

プルミタスとドンニャは互いに一歩も譲らない。火花を散らせてにらみ合うこと数秒、プルミタスが口を開いた。


「女、勝負だ!」

「ルールは?」

「……王様ゲーーーム!!」


三人+ファンはずっこけた……。






「……で、なんでこんなことに……(汗)」


部屋の明かりを消し、テーブルを片付け、中心に置いた蝋燭を囲んで6人は座っていた。ぼんやりと蝋燭の明かりで照らされたみんなの顔がコワイ。まるで今にも悪魔でも呼び出しそうだが、今から行われるのは間違いなく、一般的に修学旅行の夜などに行われるチャラい割に際どいゲームである。
プルミタスは恒例の割り箸を用意し、慎重にみんなの前に掲げた。


「さぁ、引け!!」


単なるお遊びではあるが、みんなの目は真剣だった。


「王様だ〜れだ!?」


「俺違う」

「俺も」

「あら、私だわ」


美しい彼女は自分の引いた割り箸を見て嬉しそうに笑った。


「ドンニャ〜♪ 僕は君の命令なら何だって……」

「貴方に命令するとは決まってないわ。そうね……」


ぴしゃりとファンに言い放つと、ドンニャは参加者の顔を順々に見渡した。そしてピタリと動きを止める。その視線の先には眉間に皺を寄せて睨みあげるプルミタス。なぜか既に屈辱的な表情の彼を見てドンニャは妖艶に笑う。


「フフ……。では、そうね。3番、私の靴を舐めなさい!」

「よ、喜んで!!(興奮)」


3番はファンだった……。
ドンニャはゴミでも見るような目で彼を見下ろし、仕方なく足を上げた……が、彼が近づいた途端蹴り飛ばした。ひでぇ……と高校生三人は思ったが、蹴られたファンの表情は恍惚としていた……。



「はい、次!王様だ〜れだ!?」


「俺だ……!」


闇にまぎれる低い声はプルミタス。今度はドンニャが苦い顔をする番だった。

……二人の戦いなら勝手にやってて欲しいもんだけど、とばっちりを食らう羽目になるファンと三人は顔を見合わせもっと苦い顔をした。


「では……4番! 退場!」

「ひ、ひどいよ! プルミタス!(涙)」


またしてもはずれを引いてしまったらしいファンは泣きながら輪から抜けた。


「ご……ごめん、兄さん……(汗)」



部屋の隅から暗闇に溶けたファンが覗く輪の中では既にドンニャが割り箸を集めて三回戦へと進もうとしていた。


「じゃぁ、次ね。……王様だ〜れだ?」

「あ、俺だー」


手を上げたのはフレデリックだった。


「じゃぁ、1番が、3番にデコチュー!」

「あら、3番よ」

「え、俺おいしくね? いいの?」


自分の割り箸に書かれた番号を見たロックウェルは顔を輝かせた。
ドンニャのこめかみの辺りにそっと手を添えて白い額に口付ければ、彼女もまんざらでもなさそうだった。ファンは失神した。


「はいはい、引いて〜。王様だ〜れだ!?」


ロックウェルはそろそろ王様来てもいいだろ、と願いをこめて割り箸の印を見た。……2番だった。とりあえず、王様がドンニャとプルミタスではないことを願った。互いの個人的諍いのためにとんでもない命令を出しかねない。
その思いが通じたのか、嬉々として声を上げたのは彼の親友、ロベルトだった。


「っしゃ〜♪ どうしよっかなー」


ロベルトは品定めをするように輪を見渡す。


「じゃぁ、命令! 1番と2番がキス〜♪」

「うわ、また俺だ」


眉根を寄せてロックウェルは息をつく。相手が再びドンニャでありますように……と祈りながら周りを見渡すが誰も名乗りを上げない。


「あれ? 何番と何番だっけ?」
「1番と、2番」
「マジ? じゃ俺だ」


ワンテンポ遅れてそう言ったのはフレデリックだった。なんだ、フレデリックか、とロックウェルは安堵した。とりあえずプルミタスだったりしたらなんかいろんな意味で怖い。ドンニャの恨みは買いたくないし。


でも……待て。フレデリック?


「はい、じゃぁロックウェルとフレデリックの生チューが〜」

「見た〜い♪」


ロベルトとドンニャの黄色い野次に押されてロックウェルとフレデリックは目を合わせた。フレデリックは仕方ないね、というように肩をすくめた。
ロックウェルはといえば、さっきの安堵はどこへやら、今は激しく動揺していた。


(いや、無理無理……絶対無理!)


「どうした?」


フレデリックは何も思うところが無いのか不思議そうに尋ねて、はやし立てるロベルトとドンニャに苦笑を返した。


「YOUやっちゃいなよ〜♪」


……少し離れたところから復活したファンが参戦していた。

フレデリックなら相手にとって不服はない。男とはいっても、そこらの女より綺麗な顔をしているし。
だが……そんな軽々しくキスをできる相手でもない。まして、見世物みたいに公衆の面前で。
なぜそんな風に思うのか、ロックウェル自身はっきりとはわからなかったが、今この場でその原因を追究するのは得策ではない。とにかく、今キスをしてはまずい。そう思うだけで精一杯だった。


「ま……待て待て、やっぱまずくね? こういうのは……」

「ロックウェル、しょうがないよ。覚悟を決めろ」


あせるロックウェルにそう言ったのはあろうことかフレデリック本人で、本当になんとも思っていなさそうなその台詞はロックウェルの胸にグサッと刺さった。


「…………(汗)」

「俺とは嫌?」

「い……嫌とかじゃなくて……(汗)」


芝居がかった表情でそう言うフレデリックに、まさか嫌だとはいえないロックウェルはもごもごと返した。じゃぁいいじゃん、と軽い調子で言って、フレデリックはロックウェルの頬に手を添えた。状況を認識するまもなく頬が強張る。少しだけ間をおいて次に触れたのはフレデリックの少し乾いた唇。頬を撫でる手はそのまま頭に回される。外野が何か言っている声が聞こえる。だがその言葉も頭を素通りして、感じるのは薄く開いた唇の間から漏れる熱だけだった。
そう、予想していたよりもその時間は長く、もはやチューなんて軽い形容で済まされるものではなかった。


――馬鹿か、こいつ!


声に出さずにはき捨てる。フレデリックの熱を持った舌の感触に理性のたががパチンと外れたロックウェルはフレデリックの髪を探って具合のいい位置を探しながら彼のよりも数倍激しいキスを返した。


――仕掛けてきたお前が悪い。


やり方は女と同じだ。舌の裏とか、歯とかを舐め上げて濡れた唇を重ねる。撫でるように角度を変えて、再び舌を絡ませて軽く吸って。人並み以上には経験があるつもりだ。過去の修練の成果を見せ付けるように、フレデリックの口内を攻め立てれば、甘い声が上がった。


「んっ……ま、待って、もういい」


自分のあげた声を恥じるように、後半はいつもよりワントーン低い声だった。ロックウェルはあっさりと手を離した。


「お前が俺にけしかけるなんて、100年早いっつーの」

「……っ」


まさに言葉が出ない、という感じだった。手で唇を隠すような仕草をして、フレデリックは見開いた目でロックウェルを見ていた。薄いブルーの瞳が透明の膜で覆われ、わずかに歪む。


――そんな顔されちゃ、俺が無理矢理犯したみたいじゃねーか……(汗)


少しだけいたたまれない気持ちになりつつも、そんな顔をさせてやったということに対して満足感もあった。いつかの花見のときを思い出す。酔っ払ったフレデリックが頬を上気させて顔を寄せてきた。髪が触れる距離だった。あの時もマジにやばかったけど、なんでこういうシチュエーションにならなかったんだっけ……と考えて、ロックウェルは思い切り肩を落とした。


(そういえばもろ吐いたんだよな……あいつ/汗)




「ま、これでOKだよな」

ロベルトに向かってそう言うロックウェルの声はさも場慣れしていることを主張するような落ち着いたものだった。


「……なんかすっごいもん見た気がするんだけど(汗)」

「ふふ……かわいいわね♪」




「ロックウェル……」

「何」


ぽつり、とフレデリックが名前を呼んだ。努めて平静を装って、潤んだ瞳のフレデリックを横目で見る。まだ唇を手で隠していたが、指の間から見える頬は薄く色づいていた。


「なんか……犯された気分……」

「…………(やっぱり?/汗)」